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レビュー『ファタモルガーナの館』

Posted on 2013年5月27日月曜日 | 2 Comments

2周めのプレイを終えてからかなりの時間が経ってしまったが、今年に入ってからずっと推し続けている『ファタモルガーナの館』のレビューである。

好きすぎていつまでも書き終わらない呪いにかかっていたようで、「仮に自身が生まれ変わったとしても、この呪いは永遠に解けないのではないか」と思っていたのだが、本作をめぐっての大きな動きもあったので「こんな文章ではよさが伝わらない」という気になる部分がありつつも、どうにか書き終えたのでぜひ読んでいただきたい。

概要

■ジャンル ビジュアルノベル
■開発 Novectacle(ノベクタクル)
■プラットフォーム Win
■リリース日 2012年12月31日(コミックマーケット83)頒布
■価格 2000円(ショップ委託2500円)
■入手経路 各種イベント、委託ショップ(ダウンロード販売あり)
■公式サイト http://novect.net/
■プレイバージョン 2013年2月10日更新パッチ適用
■プレイ時間 40時間(2周プレイと全エンドの回収)

『ファタモルガーナの館』は、同人サークルNovectacleによる全年齢対象の長編ビジュアルノベル。サークル代表の縹けいか氏が企画・シナリオ・演出といった総合的なディレクションを行なっている。縹氏を含めたサークルメンバー4名が開発に携わっているほか、楽曲や着色などサークル外の人間も関わっており、10名強が製作に参加している。

開発に4年を費やした『ファタモルガーナの館』がサークルの代表作品であるものの、本作のキャラクターが登場する(ただし『ファタモルガーナの館』とは姿こそ同じものの別人、別世界という扱い)『霧上のエラスムス』が先立ってリリースされている。

吉里吉里にて開発。操作や基本的なシステム周りに特筆すべき事項はないものの、安定感のある仕上がりだ。私はほとんどXbox 360のコントローラパッドでプレイしたが、パッド操作に最適化されているわけではないのであくまでも「パッドでも操作できる」程度に捉えておいたほうがよい。
パッド操作だと、セーブやロード周りでの操作にやや難あり
クリア後の特典として、スチル(イベントグラフィック)閲覧の「美術館」や開発者のお遊びが垣間見える「舞台裏」といったエクストラコンテンツが用意されている。さらに本編にも僅かながら2周め独自の要素が存在。変化自体は小さく、本作を気に入れば見る価値のあるものではあるものの、変化そのものに期待を寄せてプレイするのはオススメできない。基本的には1プレイできっちり完結するものと思ったほうがいい。
自由に楽曲を聴ける「音楽館」のモードもクリア特典に含まれる
歌詞を知ることでより作品を味わえる
体験版は公式サイトなどからダウンロードが可能。ゲーム序盤の2章分、プレイ時間にしておよそ3時間程度のボリュームがあり、購入するか迷っており、本作の内容を判断したいのならプレイしたほうがよい。

「ファタモルガーナ(Fata Morgana)」は「蜃気楼」という意味だそうだ。私の場合、「蜃気楼」と言えば「Mirage」なのだが、「Fata Morgana」という言葉は『アーサー王物語』の登場人物モーガン(Morgan)が語源らしく、それゆえかヨーロッパではこちらも俗称として広く使われているようだ。

ゲーム内容

「その館に住む者は、必ず不幸になる」というキャッチコピーにあるとおり、本作の舞台は、とある理由で呪われている館だ。館に過去より永劫に続いている呪いの輪廻を紐解くというのが大きな目的となっており、物語は500年以上の時を行き来するという壮大なものとなっている。いわゆるループものではないが、既視感をうまく絡めた物語の構成からループもののそれに似た感覚を受けるかもしれない。

物語は、主人公である「あなた」が「旦那さま」と呼びかける女の声で目を覚ますところから始まる。そこは古びた館で、窓を打つ雨音と暖炉で火の爆ぜる音以外に何もないような生気の感じられない場所だ。なぜ「あなた」が館にいるのかはわからないまま、不思議な雰囲気の女中に手を引かれ、「あなた」は館の歴史をいくつか見ていくことになる。自身が何者なのか、眼前の女中が誰なのかを思い出すために。
「あなた」を「旦那さま」と慕い、語りかけてくる女中
女中に見せられる館の歴史は4つあり、これらが物語の序章を構成している。

1つめは「1603年 薔薇園の時代*1」。屋敷に住まう貴族の兄妹が主役である。人柄のよい兄と、幼少期より兄へと想いを寄せていた妹。年頃を迎えて恋慕の輪郭を帯びていく妹のそれは、館に白い髪の女が現れることで徐々に歪さを増していく。憧憬は恋慕へ、そして恋慕は嫉妬で焼け爛れるのである。その激情は、薔薇が咲き乱れるかの如く。

2つめは「1707年 狂獣の時代」。戦乱直後の時代、その館には「獣」が住んでいた。人を殺める衝動に駆られる化け物が住む館と、「獣」の恐怖に怯える海沿いの集落を舞台としている。館を訪れる白い髪の女、そしてとある事情で集落を尋ねる黒髪の女の登場によって、物語は思わぬ方向に動き出して行く。海の鮮やかな青の印象の強いエピソードだが、殺戮衝動の紡ぐ未来は赤に染まる。

3つめは「1896年 銑鉄(せんてつ)の時代」。産業が大きく飛躍する時代を迎え、館の主は大陸鉄道という大事業を成そうとする野心家の男となった。野心家の妻は白い髪の女。健気な妻と傍若無人な夫との仲は、傍から見ても決していいものではなかったが、ある事件をきっかけに関係はさらにこじれていく。寄せた想いは返さず、ねじれた想いだけが虚しく軋む。大陸鉄道の完成とともに迫る崩壊の足音は、彼らの耳には届かない。

4つめは「1099年 弾劾の時代」。時系列的には先の3つの時代より前にあたる。物語は、理由なき弾劾を受けた白い髪の女が館へと逃げこむところから始まる。館で出会うのは彼女と同じく白い髪をした人物。幸か不幸か奇妙な一致を見せた2人の生活は、このように唐突に始まるのだが、ここまでの館の歴史を見てきた「あなた」なら、この逃避行の結末を語るまでもなかろう。彼らの行き着く先は楽園ではない。楽園だとしたのならば、それは虚構なのである。

全編通して舞台となるのは同じ館だ。館の過去はすべて悲劇で塗りつぶされており、「あなた」はそれを次々と見ていくことになる。時代を問わず現れる白い髪の女、いつもそこにありつづける「館の女中」と謎は尽きないが、真相は4つの時代の向こう側にある。「あなた」はそこで知ることになるだろう、「他人の悲劇だから耐えてこられたんだよ」*2の意味を。
女中と同じく謎多き、白い髪の女。物語の鍵となりそうだ
ただし、最初の4章は序章にすぎず、四章終了時点で全体の3分の1程度である。序盤の展開を見ると、1話完結型のいくつかの悲劇を扱ったオムニバス形式のように見えるのだが、実際には館をめぐる一本の大きなストーリーが横たわっており、そこに続くための準備段階にあたるのが序盤の4章となっている。参考としてシナリオを手がけた縹氏のTwitter上での発言を貼っておこう。
公式には「西洋浪漫サスペンスホラー」と題しており、暴力描写などもあるため、その手のものが特別苦手という方には勧めにくい。イラストで言えば、本稿で使っているスクリーンショットのレベルのものを想像してほしい。たしかにサスペンス、ホラーといった要素は感じるが、物語の根幹で描かれているのは人の業であり、そこに生まれる葛藤、苦難をはねのける強い意志や信念、人の想いなどである。詳しくは次項にて詳述する。
*1 それぞれの時代の名前は便宜的に私がつけたもので、公式のものではない。
*2 公式サイトなどにある文言

本作を際立たせるさまざまな要素。肝となる物語の魅力

同人ゲームにおいて馴染み深いビジュアルノベルというジャンルでありながら、西欧を舞台にした物語、耽美なビジュアル、歌曲も用いられた表情豊かな楽曲と、本作を構成する素材は同人界隈でも異彩を放っていると言えよう。特に画と楽曲の部分は、プレイしなくとも公式サイトからいくつか確認できるので、ぜひ公式サイトで確認してみてほしい*3

一部の効果音を除いて、音楽はすべてオリジナルのものを使用。5名の作曲家が手がけた楽曲は圧巻の65曲を収録し、「異常なほど」と言っていい力の入れようである。映画の劇伴を手がける作曲家も参加しており、「ノベルを観劇に」というサークルテーマをまさに体現している。

一章と二章、三章、四章とでそれぞれ異なる3名の作曲家が担当しており、曲自体の色合いもずいぶんと違う。結果、音響によって各章を強く印象づけることに成功している。

また、全収録曲数の半数を越える実に35曲が歌曲というのも大きな特徴だ。歌詞は日本語ではなくポルトガル語が用いられている。そのためか歌が邪魔に感じることはなく、むしろ場面を盛り上げる効果を果たしている。

ビジュアルは言葉で説明するまでもないかと思う。実際に見てもらったほうが早い。ちなみにイラストを担当している靄太郎氏は、インタビューにて「末弥純氏の影響を受けている」と明かしている。私の場合、ゲームファンでありながら末弥純氏を知らなかったこともあり、最初に想起したのは『悪魔城ドラキュラ 月下の夜想曲』などで知られる小島文美氏である。

*3 一部楽曲は公式サイトから試聴可能

音楽・絵 - 『ファタモルガーナの館』公式サイト
http://novect.net/music_illust.html
さて、未プレイの人がもっとも気になるであろう肝心の物語について話そう。

物語は筆致、展開ともに目を見張る出来と感じた。館の呪いが引き起こす悲劇や惨劇は、ことごとく人の業を炙りだし、そこに対峙する人間の葛藤を精細に描いている。

際立って素晴らしいと感じたのは、登場人物たちの立ち振る舞いや発言である。悲劇ばかりを描いている物語の構成上、陰惨な出来事が続くとはいえ、やはりプレイヤーとしてはカタルシスがほしい。一方でプレイヤーは登場人物が急に様変わりするようなご都合主義は、最悪の結末であると経験で知っている(知らないのであればよほど恵まれた物語環境で育ったか、あまりに物語に触れずに育ったかのどちらかだろう)。

だが、本作においてそれは杞憂に終わる。最後の最後まで人物像をブレされることなく、説得力ある描写を完遂し、美しい幕引きを成し遂げているのだ。役者である登場人物も、追いかけ続けてきた物語も、私たちプレイヤーを決して裏切りはしない。
舞台となる館は、数多の不幸で彩られている。このため「きっと次なるページにも恐らくは不幸が綴られており、ページを繰る自身の手は不幸を紡ぐのだ」という確信がたしかにあるのに、私は読み進めるのを止めることができなかった。では「その原動力となったのはなんだろう」と考えてみると、描かれているものにどこか共感を覚えるからではないかと感じた。

メインだけでも優に10名を超える登場人物たちは皆、自身の幸せを願っている。しかし、誰しも容易には逃れられないような心的、あるいは物理的な縛りが存在している。それは他者に弱みは見せられないという歪んだ自尊心かも知れないし、変えることのできない強い信念かも知れない。「縛り」とは言ったものの、それこそがその人物たる本質と言い換えてもよかろう。もちろん、その形質は人によってそれぞれ異なる。
そして、誰もが自身の望むべきものを叶えるために進み、結果的に不幸を引き起こしてしまうのである。読み手である我々にも覚えがあるはずだ。現状を続けることが幸せな結末に結びつかないと知ったからといって、たやすく自分自身を変えたりできるだろうか? いや人というのはそんな簡単に変えられたりしないものだと思う。これを読むあなたに思い当たる節がなくとも、私にはある。「人の弱さ」と非難するのは簡単だろう。だが、それは「弱さ」なのだろうか? 仮に「弱さ」であったとしても、それが私を形作るのなら、その「弱さ」を保ち続けてしまうことは往々にしてあることなのだ。

同じように物語に出てくる様々な人物にも、彼らの「容易には捨てられない本質」を見る気がするのだ。そこに生じるのは彼らを否定することではなく、受け入れ、共感することである。涙が頬伝うこともあれば、やり場のない怒りに打ち震えることもあるだろう。いつしか私は彼らの分身となり、彼らは私の分身となり、不可思議な調和の先で私たちは叫ぶ。

「悲劇を生み出してきたのはやはり自分であった」と。
「だが、ここで歩みを進めないのなら幸せは得られない」と。

先に進むことが必ずや幸せに結びつくとは限らないが、我々は進むことしかできないのである。行く先に眠る不幸を恐れて歩みを止めれば、それこそ最大の不幸へ繋がるのだと私たちは知っているのだから。

物語は一筋縄でいくものではなく、終わったかに見せかけて二転三転し、最後までプレイヤーを翻弄してくる。総じてプレイヤーの作り出した思い込みを反転させる展開、いわゆるミスリードが多いのだが、ある章のそれはまさに圧巻。大仕事と言えるその内容は、ぜひとも自身の目で確かめてほしい。
そしてもうひとつ。

「初めて泣いたゲーム」といったようなフレーズは、本人以外にはあまり意味を持たない場合が多い。しかし、私自身が忘れないためにも、あえてそれを承知でここにひとつ書き留めさせてもらいたい。

この手のゲームのプレイ経験は乏しい私だが、基本的には「まず自分だったらどうするか」をいつも念頭に置いてプレイしている(誰もがそうだろう)。ただ、すぐにバッドエンドになりそうな部分はそれを確認してしまう場合が多い。しかし、『ファタモルガーナの館』では違った。トゥルーエンドに進めるよう(初回プレイでもトゥルーエンドに達することは難しくない)、危険を避けようとしたし、全力を尽くした。ここまで強く意識して登場人物の幸せを手にしようと思ったことは未だかつてなかったと断言できる。

この手のゲームに関して「記憶を消してもう一度プレイしたい」という言葉もよく見かける。正直、私はその気持ちがあまり理解できなくて、好きなゲームである『Steins; Gate』でもそれを感じなかったのだが、本作で初めてその気持ちを理解することができた。

それほどまでに強く心を打たれたし、魂を揺さぶられたのが、この『ファタモルガーナの館』なのである。

大きな意味を持った選択肢の存在

本作には8つのエンディングと5つのデッドエンド(不条理な死)が存在する。いくつか分岐も存在しているが、ストーリー進行自体はトゥルーエンドに向かうほぼ一本道で、少しだけ枝分かれしていくつかのエンディングに繋がっている、という形だ。

特筆すべきは、特定のシーンにおける選択肢である。

ビジュアルノベルにおいて選択肢は、「世界を変える鍵」だ。『ファタモルガーナの館』についてもそれは変わらない。しかし、一部の選択肢は「世界を分岐させるための鍵」から脱却し、「『あなた』の意志への問いかけ」へと変貌しているのである。意志決定に焦点を当てたこの仕掛けは、「世界が変わるかどうか」という結果よりも「どうしたいか、どうするか」という過程への帰結をもたらしており、本作の物語とも相まってとても意義深いものとなっている。

これによって「物語を自身の手で選んで進めている」という感覚が強く、読後感も相当のものであると感じた。20時間弱に及ぶプレイ時間の長さが、プレイ後の充実感につながっているのは言うまでもないが、胸を満たす気持ちは決してプレイ時間だけが理由ではない。本作を手に取るかどうかを「一本道」という言葉で躊躇している人がいるのなら、私は迷うことなく手に取ることをオススメしたい。
全体を通した美しいデザインに、細かな部分の演出に至るまで手がかけられている

本作を本作たらしめているもの

個々の要素を分解して語っておいてから言うものなんだが、実は『ファタモルガーナの館』という作品について、それを構成している素材から語っていくのは不適当だと感じている。

たしかにそれらの良し悪しを語ることはできよう。だが、ピースが揃ったところでこの作品は完成しない。画材が揃えば画が描けるというわけではないし、楽器と譜面があれば誰でも同じように音楽を奏でられるというわけではないのだ。素晴らしいのは、かように作品をまとめあげた製作手腕である。それは製作指揮であるとも言えるし、指揮に応えた個々の製作者と見ることもできるだろう。

もう一度言おう。個々のピースを評するのは簡単だ。だが、本作の波打つような力強さはそこではないと思う。『ファタモルガーナの館』最大の美点は、すべての要素が渾然一体となった圧倒的調和だ。どのピースが欠けても完成しないし、ピースだけでも完成し得ない、そんな作品であると思う。だから、改めて本作を要素立てて語るのは不本意であったと、念押しする意味でもここに記しておきたい。
■■大切なことなので2回言いました■■
また、本作は斬新なゲームではない。その点においてはインディー、あるいは同人といった括りのゲームが持つエッジのようなものは(人によるとは思うが)ほとんど感じないと思う。基本的にビジュアルノベルという形態から飛び出るようなものではないのだ。

だがしかし。

その代わりにこれでもかというほどありったけの力で、あなたの琴線を殴りつけてくるし、涙腺をぶち壊してくる。物語が、画が、音楽が、プレイヤーの心を掴んで決して離さない。圧倒的なまでのパワープレイなのだ。したがってビジュアルノベルというジャンルに抵抗さえなければ、多くの人に受け入れられるゲームだと思う。

一方で開発者自身が言及しているように、商業ではかなり困難だろうというテーマを扱っている。本作のネタバレになってしまうため、ここでは具体的に言及しないが、その点においては「本作が同人ゲームから生まれた」というのは一種の必然であり、大きな意味を持っているのではないだろうか。

些細な問題点たち

本作に微塵の隙も感じない程度には『ファタモルガーナの館』が好きなのだが、ほかのプレイヤーが気になりそうなところをピックアップしておこう。念のために言っておくが、以下に示すのは本当に小さな問題でしかなく、プレイを避ける理由としては不適当である、と断言したい。

ひとつはテキストのテイスト。現代劇ではなく、中世から近世の欧米を舞台にしているが、キャラクターの台詞のなかには「スルー」とか「イケメン」とか、あまり世界観にそぐわないものが少しだけ登場する。頻出するわけではないが、その部分に関しては評価が分かれるかもしれない。また、ゲーム後半のとある章では、重苦しさが抜けて軽めの会話描写になる部分があり、そこでは私自身も少したじろいでしまったほどであり、その章に関しては好みが大きく分かれそうだと感じた。余談だが、地の文に関しては個人的にかなり好みだった。

イラストについては違和感を覚えたものが少数存在する。例えば、一部イラストにおける腕の長さが思い当たる。また、45枚*4あるスチルは、ものによってかなり雰囲気の異なるものがあるという印象を受けた。あえてそうしているのか、着色のせいなのか、そのほかの理由によるものかはわからないが、開発が4年に及んでいたこともあり、イラストを担当した靄太郎氏のなかで変わったものがあるのかもしれない。
違和感といっても私が具体的に説明できるものではない
なんとなく、そんな気がするレベル
体験版からデータの引き継ぎが行えないのも欠点と言えるだろう*5。ちなみに製品版を始めてエンターキーを押しっぱなしにして進めれば、途中に選択肢の決定があるとは言え、15分もあれば体験版の終わる部分まで読み進めることができる。

*4 加えて差分が57枚ある
*5 開発もこの問題を認識しており、この問題を解消したいと思っているようだ。
2013年5月27日追記
PLAYISMのTwitterアカウントによると、セーブデータの引き継ぎ問題は解消されているとのこと。すべての体験版がそうなっているのか、PLAYISMで配信中のものがそうなっているのかは不明だが、いずれにしても遅かれ早かれこの問題は全面的に解決するものと考えてよいだろう。


英語へのローカライズ、購入に関して

本作は日本語版のPLAYISMでの配信が決定し、売り上げ次第では英語版の制作も行われるようだ。私自身、一プレイヤーとして「日本の同人ゲームを英語化して売ってる会社は、このゲームを英語化しなくてどうする!」と金銭的なものなど深く考えずに強く感じていたのだが、英語化に関して障害がないわけではない。
ビジュアルノベルはテキスト主導のゲームなので、
基本的にローカライズにお金がかかりやすい
聖女、魔女といった要素が登場するし、ほかにも宗教観に根ざした
なかなかセンシティブな要素が主軸になっている。ビジュアルノベ
ルも、海外の人にとってはあまり馴染みあるものではないだろう。
かなりの力を持った作品であることに疑いはないが、金銭以外にも
なにがしかの障害がいくつかあるとは思う。
それでも『ファタモルガーナの館』の英語化が前向きに検討されているのはうれしいし、ぜひとも成功してほしいと願っている。

なお、本作のPLAYISMでの売り上げは、販売元のPLAYISMや開発のNovectacleではなく、全額ローカライズ費用に回されることになっているそうだ*6。『ファタモルガーナの館』はDLsiteでもダウンロード販売が行われているが、このような事情もあって、個人的にはPLAYISMでの購入を強く勧めたい。
■■これがステマなはずないだろ■■
*6 ローカライズが立ち消えになった場合やそもそもの目標金額といった詳細は不明

なお、物理メディア版はイベントや各種通販サイトで取り扱っており、Amazonからも購入可能。以下に購入できる場所を列挙しておく。

PLAYISM(ダウンロード版)
http://www.playism.jp/games/fatamorgana/
DLsite(ダウンロード版)
http://www.dlsite.com/home/circle/report/=/report/201303031
Amazon(パッケージ版)
http://www.amazon.co.jp/Novectacle-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%81%AE%E9%A4%A8/dp/B00CAKQRX2
メロンブックス(パッケージ版)
http://shop.melonbooks.co.jp/shop/sp_213001012903_novec_yakata.php
とらのあな(パッケージ版)
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/09/98/040030099800.html
D-STAGE(パッケージ版)
http://d-stage.com/shop/detail.php?seq=35202
AMPnet(パッケージ版)
http://www.ampnet.jp/item/item.php?iid=31385&type=detail&act=detail&ifg=

総括

『ファタモルガーナの館』は、「涙する」とか「感動する」とかを飛び越え、魂に凄まじいまでのパワーを打ち込んでくる作品だ。古典的なビジュアルノベルという枠組みはそのままに、シナリオ、ビジュアル、サウンド、演出といったものを極限までに磨き上げた同人ゲームのAAAタイトル(矛盾を孕んでいるように見えたって構わない!)と形容するに相応しい。

悲劇を扱う本作において、真実は悲劇に次ぐ悲劇の先にしかない。同じようにプレイヤーの望むカタルシスも決意に次ぐ決意の先にしかないのである。その決意なくして存在しえない展開は、本作の奥底に横たわる「人の心や想い」を鮮烈なまでに浮き彫りにし、キャラクターたちのみならず、それに向き合う我々をも裸にしていく。

開発Novectacleが目指したのは「ノベルを観劇にすること」だったそうだ。間違いなく、その理念は成功を収めているが、一方で本作はゲームらしい「開発者との闘争」と見なすこともできよう。『ファタモルガーナの館』では、彼らの矜持を、その意地を、際限なくぶち込んだ作品と真正面から向かい合うことができるのである。圧倒的な力でねじ伏せてくる作品の前で、前述のように我々は裸で立ち向かわなければならない。ありとあらゆるものを取り除き、魂だけがぶつかり合うそんな作品である。

「ビジュアルノベルだから」も「一本道だから」も「同人だから」も捨てろ。「ゲームだから」でさえも捨ててしまえ。館にかけられた永劫の呪いの物語と、そこで描かれる数多の感情、葛藤に対峙する勇気があるなら、答えは簡単だろう。問われるのは「あなた」の意志だけだ。

私は本作を「傑作」と呼ぶことに一切の疑念を抱かない。開発のNovectacleには、このように優れた作品に巡りあわせてくれたことに感謝したいし、また巡りあわせてくれることを切に願っている。

Comments:2

  1. 以前に「LOOT」のレビューで、本作品を紹介して頂いた者です。

    思ったよりもはやく手に入り、一週間程夢中でプレイして、
    先ほどトゥルーエンディングにようやく辿り着きました☆

    それにしても、本当に素晴らしい作品でした。

    偉そうなことを言うようで大変申し訳ないですが、「同人ゲーム」の枠を完全に超えてますね。
    正直、普通にそこらで売られているゲームよりも全然完成度が高いです。
    このような素晴らしい作品に巡り合えて本当に良かったです。
    この感動を適格に表す言葉が出てこないのが何とも切ないですね。
    私のボキャブラリーが乏しいのが原因ですが…

    その点、このレビューは本当に的を得ていると思われます。

    紹介して頂いて、どうもありがとうございました。
    「セブンスコート」の方も引き続きプレイさせて頂きます!!

    返信削除
    返信
    1. すごく日が開いての返信になってしまい、申し訳ありません。

      『ファタモルガーナの館』をプレイされたようで
      同作が大好きな私としても仲間が増えたようでうれしいです。

      また、『ファタモルガーナの館』については
      本ブログでインタビュー記事を掲載していますのでぜひともご覧ください。

      前編
      http://nydgamer.blogspot.jp/2013/10/fatamorganainterview1.html
      後編
      http://nydgamer.blogspot.jp/2013/10/fatamorganainterview2.html

      なお、今年の年末のコミケでは設定資料集が頒布される予定だそうです。

      『LOOT』を製作していた方々も、
      新作『ウタカタ』、ミリヤが主人公の『LOOT reconctruction』が控えているはずなので
      チェックしてみるといいかもしれません。

      http://ratsnest.web.fc2.com/

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