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インディーゲーム開発に携わるということと、我々が払うべき敬意。『Indie Game: The Movie』感想

Posted on 2012年10月16日火曜日 | No Comments

『Indie Game: The Movie』がついに日本語字幕に対応したので、早速観てみた。このドキュメントを観て感じたこと、思ったこと。

関連記事:
『Indie Game: The Movie』に日本語字幕が来るっぽい(※来ました)
http://nydgamer.blogspot.jp/2012/07/indie-game-movie.html

4人の開発者に迫って描かれる、開発に伴う表裏一体の2側面

インディーゲームと言えば、『Braid』の成功以降(という印象)、凄まじい勢いで持ち上げられ、まだまだその熱は冷めそうにない。もっともインディーゲームというものが認知され始めたあたりに比べれば、熱はある程度冷めてきているし(今もってメディアの過剰な加熱があることは否定できないだろう)、インディーゲームというものの在り方が問われるタイミングなのかな、と思わなくもない。メジャーゲームに対するカウンターとして訪れたインディーゲームと同じように、ポストインディーのような存在が現れて、価値を再構築するような日も遠くないような気さえする。そんなものがあるのかなんて知らないけれど。

さて話がそれた。そのような華々しい世界を支えているインディーゲーム開発者たちが何を思い、どのような状態で来たるべきリリースを迎えているのか、というのをつぶさに描いたのが、この『Indie Game: The Movie』である。

本作を観て感じるのは、想像以上に彼らは過酷な精神状態に追いやられているということだ。このドキュメントでは、主に以下の4人のエピソードで構成されているのだが、それぞれのエピソードごとに完結して次のエピソードに移る形ではなく、それぞれを断片的に結び併せて描くという手法を取っている。
すでにインディーゲームの成功者たる『Barid』のJonasan Blow
まだ成功を手にしていなかったときの『Super Meat Boy』のTommy Refenes
同じく『Super Meat Boy』のEdmund McMillen
彼とTeam Meatを象徴する台詞だ
IGFの栄冠という名声を得たものの、
なかなかリリースにこぎつけられない『Fez』のPhil Fish
事前に観た人から「想像以上にエモーショナルだった」と耳にしていたが、たしかにあふれんばかりの感情が詰め込まれた作品であった。

最初のシーンはTommy Refenesが、『Super Meat Boy』のリリース日にその状況をチェックするシーンから始まる。のっけからとても感情的な部分が描かれている印象的なシーンだ。この作品では大きく分けて2つの側面が描かれていると感じたが、冒頭部はそのひとつめ、「彼らが直面する血反吐を吐くような状況」を象徴するシーンだ。

もうひとつの側面は、「彼らが味わうリリースに伴うカタルシス」である。と言ってもこれは諸手を上げて喜べるような代物ではない。プレイヤーが味わう狂気と熱狂以上に、開発者は狂乱に満ちている。作中で紹介される『Braid』リリース直後のJonasan Blowのエピソードは、それを端的に表していると言えるだろう。Edmund McMillenが自身のゲームをプレイしている世界中の子どもたちについて思いを馳せているシーンも同様だ。
『Braid』のアルファ版の映像もチラリと出てくる

彼らの尊き行い、それに対して私たちができること

『Indie Game: The Movie』の詳細は本編を見ていただくとして、私の感じたことをまとめて本稿を締めくくりたい。

当たり前のようだが、ゲーム開発者も人間だ。その点においてどこかの工場で機械的に生産される工業製品とはまったく異なっている(いやそのような工業製品ですらも開発に携わった人間はいるに決まっているのだが)。私たちがその作品をプレイし、リアクションすることに彼らは至上の喜びを覚えるし、同時に自分の伝えたかったことがまったく伝わっていないことについてひどく不満を覚えることもあるだろう。

だからこそ、我々は彼らに敬意を払うべきである。

くだらぬゴシップにうつつを抜かして、PVやアフィリエイトを稼ぐような行いは唾棄されるべきだし(別にアフィリエイトが悪いということではない)、理念や自身の感情が伴わないコンテンツは駆逐されて然るべきである。

何も彼らの作品を否定するな、と言っているのではない。開発者たちは想像以上に負の評価をも求めているし、このドキュメントでも少なからずそのことが描かれている。彼らが心血注いで創りあげた作品に対して敬意を払い、私たちも同様に対峙するべきなのだと思う。しかしそれは言うほど難しくない。子どもがゲームに触れているときのように、あるいは我々が初めてゲームに触れたときのようにゲームで一喜一憂して、夜を明かすほど熱中したり、それを友人に語ったりすればいい。ときにはコントローラを投げ出したり、大切なお小遣いをドブに捨てたような気持ちになることも必要かもしれない。それだけでいいのだ。極めて単純である。

そういった点から『Indie Game: The Movie』は次のような人にオススメしたい。インディーに限定せず、ゲームメディアに関わる人、ゲーム系のブログを運営している人、ひいては多くのゲームファン。インディーゲームに限定しなかったのはAAAタイトルも基本的には同じ構造だと思ったからである。インディーゲームは開発規模が極めて小さい。したがって開発者にのしかかる重圧も、それを跳ね返すようなカタルシスもAAAタイトルよりもずっと濃縮された形になっているだけなのだ(ひょっとしたらそれこそが開発者としてのインディーゲームの持つ魅力のひとつなのかもしれない)。

だから『Indie Game: The Movie』は、ゲームを愛するすべての人に観てほしい。現在の自分と過去の自分とを照らし合わせ、ゲームに対する真摯な気持ちだとか態度だとかを考えさせられる。

娯楽を崇高なものに仕立て上げるのは(音楽とかそういうイメージがある)、個人的に好きではないのでこんなことは言いたくなかったのだが、それを言わせるほどの力を感じた。このドキュメントはそういう素朴な力を持った、素敵な作品である。

日本語字幕について

まだ観ていない方や購入していない方のなかには、日本語字幕がどんなものか気になっている方もいると思うので、『Indie Game: The Movie』の日本語字幕についていくつか言及しておこう。ちなみに記事執筆段階ではSteam版は日本語字幕に対応しておらず、公式サイトのもののみが日本語字幕に対応している。

全体的にほとんど不満はない。この作品を日本語で楽しめるというのはそれだけで福音である。訳のクオリティに関しては私は英語をほとんど読めないので言及を避ける。私が感じた字幕に関する不満点は以下のとおり。
  • 時折、字幕が地の文にかぶってしまうことがある
  • 脱字と思しき箇所が数カ所ある
  • 『Megaman』が『メガ・マン』と訳されている(『Megaman』は『ロックマン』の英題なので、『ロックマン』でよかったと思う。画面が出てくるからわかるけど)
字幕位置がうまく調整されているものもあるが……
こんな風になっている箇所も。
本来は右上の黒帯部分に字幕が来るのが正しい(英語字幕で確認
一応、不満点として挙げたが、これらは些細な問題である(特に『メガマン』は)。日本語でほとんど問題なく観られる、これだけで御の字だろう。ボランティアで翻訳を行ったというHaraguchi Shungo氏、それに日本語字幕に対応してくれた『Indie Game: The Movie』のスタッフにただただ感謝である。

なお、再生時間は103:05。最後の8分ほどがスタッフロールとなる。
2012年10月18日追記
『Indie Game: The Movie』のサポートに、以下の2点について問い合わせた。
  1. 日本語字幕の位置が不正確なものがあります。必要であれば私はこれをレポートする用意がありますが、字幕位置の修正は可能でしょうか
  2. 日本語字幕版のダウンロードができないので修正してほしい
これについてサポートより返答があったので、おおよその内容を掲載しておく。
  1. 我々も字幕位置の問題については認識しており、修正している最中です。申し訳ございません
  2. ダウンロード可能になり次第、ご連絡差し上げます
とのことだった。いずれの問題も近々解決されそうで一安心である。問題が解決されたときには、またここに追記しようと思う。
2012年11月4日追記
2012年10月25日にサポートより連絡が来た。諸々修正を行った、とのことのようだ。私は確認できていないが、日本語版字幕版のダウンロードも可能になった模様。公式サイトでの購入者は安心して楽しめる状態になったと言っていいだろう。

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